建武の新政

日本史

建武の新政(1333年-1336年)は、鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇が行った中央集権的な改革で、日本の歴史において重要な転換点です。

後醍醐天皇は、貴族や武士の支配を再編成し、天皇中心の統治を目指しました。

主要な政策には、土地の再分配、税制改革、法制度の整備などが含まれました。しかし、これらの改革は武士や貴族の反発を招き、短期間で崩壊しました。この新政は、その後の南北朝時代を引き起こし、日本の政治体制に長期的な影響を与えました。

建武の新政は、中央集権化の試みとその失敗を通じて、日本の歴史における権力の動向を示す重要な事例です。まとめました。

建武の新政について試験で問われるポイント

★★★★★

  1. 建武の新政が開始された年はいつか。
  2. 建武の新政を主導した天皇は誰か。
  3. 建武の新政が始まる背景について説明しなさい。
  4. 建武の新政で実施された主要な政策を述べなさい。
  5. 建武の新政が失敗した原因を具体的に説明しなさい。
  6. 足利尊氏が建武の新政崩壊に果たした役割について説明しなさい。
  7. 足利尊氏が反旗を翻した年とその経緯を述べなさい。

★★★★

  1. 建武の新政における後醍醐天皇の中央集権化の試みについて説明しなさい。
  2. 土地の再分配に関する建武の新政の政策とその結果について説明しなさい。
  3. 武士階級が建武の新政に対して抱いた不満について説明しなさい。
  4. 貴族や公家が建武の新政に反発した理由を述べなさい。
  5. 建武の新政の崩壊後に始まった南北朝時代について説明しなさい。
  6. 南北朝時代が日本の歴史に与えた影響を述べなさい。
  7. 建武の新政が日本の政治制度に与えた影響について説明しなさい。

★★★

  1. 新税の導入が建武の新政に与えた影響を述べなさい。
  2. 建武の新政における記録所の設置とその目的を述べなさい。
  3. 経済政策として建武の新政が導入した改革について説明しなさい。
  4. 建武の新政に対する地方豪族の反応とその影響を述べなさい。
  5. 建武の新政が短期間で崩壊した理由について総括しなさい。
  6. 建武の新政から学ぶ現代への教訓を述べなさい。

建武の新政の開始

開始年と主導した天皇

建武の新政は1333年に開始され、これを主導したのは後醍醐天皇です。後醍醐天皇(1288年 – 1339年)は、鎌倉幕府に対抗して天皇親政を目指し、中央集権的な政治体制を実現しようとしました。

背景と経緯

  1. 鎌倉幕府の滅亡
    • 背景: 鎌倉幕府は1185年に源頼朝によって開かれましたが、北条氏の執権政治により権力が集中し、内部の不満が高まっていました。経済的な困窮や元寇などの外圧も幕府の衰退を加速させました。
    • 後醍醐天皇の討幕運動: 1321年に即位した後醍醐天皇は、幕府に対抗して天皇親政を目指し、討幕運動を展開しました。1331年に挙兵しましたが、一度は敗れ隠岐に配流されました。しかし、討幕の意志を捨てず、全国の反幕府勢力と連携を図りました。
    • 足利尊氏と新田義貞の挙兵: 1333年、幕府に仕えていた足利尊氏が反旗を翻し、六波羅探題を攻撃・陥落させました。同時期に、新田義貞も挙兵し、鎌倉を攻撃しました。これにより鎌倉幕府は滅亡しました。
  2. 建武の新政の開始
    • 1333年: 鎌倉幕府が滅亡した同年、後醍醐天皇は京都に戻り、新たに中央集権的な政治体制を確立するために建武の新政を開始しました。これにより、天皇を中心とした統治が実現されることを目指しました。
  3. 新政の主要な政策
    • 土地の再分配: 幕府に従っていた土地を没収し、新たに忠誠を誓った者に再分配しました。
    • 税制改革: 年貢や諸税の徴収を中央集権化し、効率的な財政運営を目指しました。
    • 法制度の整備: 法の整備と施行を強化し、法治主義に基づく統治を進めました。

主要な政策

中央集権化の試み

後醍醐天皇は、建武の新政を通じて天皇中心の中央集権的な統治を目指しました。これを実現するために、以下のような政策を実施しました。

  1. 政治の集中
    • 親政の実施: 後醍醐天皇は、天皇自らが直接統治を行う親政を実施し、政治の全ての権限を天皇に集中させました。これにより、貴族や武士に依存せず、天皇が直接統治する体制を目指しました。
  2. 地方の統制
    • 守護・地頭の廃止: 鎌倉幕府が設置した守護・地頭を廃止し、地方の統治権を中央政府に戻そうとしました。これにより、地方の豪族や武士の権力を削減し、中央集権化を図りました。
  3. 政務の統一
    • 記録所の設置: 記録所(きろくしょ)を設置し、中央政府の行政機関として統治の一元化を図りました。この機関を通じて、全国の土地や人口の管理を行い、効率的な統治を目指しました。

経済政策

  1. 土地の再分配
    • 公地公民の原則: 後醍醐天皇は、天皇が土地を所有し、それを民に分け与える「公地公民」の原則を復活させようとしました。鎌倉幕府に従っていた土地を没収し、新たに忠誠を誓った者に再分配しました。
    • 恩賞地の分配: 功績のあった武士に対して恩賞として土地を分配し、忠誠心を高めようとしました。
  2. 税制改革
    • 年貢の中央集権化: 年貢や諸税の徴収を中央政府が直接管理し、地方の権力者による税の取り立てを排除しました。これにより、財政の効率化を図りました。
    • 新税の導入: 財政基盤を強化するために、新たな税制を導入し、財源を確保しました。

政治・社会改革

  1. 貴族に対する政策
    • 貴族の統制: 中央集権化を進めるため、貴族の権力を制限し、天皇への従属を強化しました。貴族の役職を削減し、中央政府の統治機構に組み込みました。
  2. 武士に対する政策
    • 新たな恩賞: 功績のあった武士に対して恩賞を与え、忠誠心を高めるとともに、武士階級の支持を得ようとしました。しかし、土地の分配が十分でなかったため、不満を招くこともありました。
    • 武士の統制: 武士の力を削減し、中央政府の統制下に置くための施策を実施しました。
  3. 法制度の整備
    • 法の整備: 法制度を整備し、法治主義に基づく統治を進めました。これにより、法の下での公平な統治を目指しました。
    • 裁判制度の強化: 裁判制度を強化し、中央政府が司法権を掌握することで、統治の効率化を図りました。

成果と失敗

初期の成果

初期の成功例

  1. 鎌倉幕府の滅亡と新政の開始
    • 1333年、鎌倉幕府が滅亡し、後醍醐天皇が新政を開始することに成功しました。これにより、長期間続いた武士政権を打倒し、天皇親政を実現しました。
  2. 反幕府勢力の結集
    • 後醍醐天皇は、足利尊氏や新田義貞など、反幕府勢力を結集させ、全国的な支持を得ました。この結果、短期間で広範囲にわたる支配を確立しました。
  3. 記録所の設置
    • 記録所を設置し、中央集権化のための行政機関を整備しました。これにより、土地や人口の管理が強化され、行政効率が向上しました。

政策の失敗とその原因

失敗の具体例

  1. 土地の再分配の失敗
    • 原因: 後醍醐天皇の政策の一環として、旧幕府に従っていた土地を没収し、新たに忠誠を誓った者に再分配しました。しかし、再分配が不公平であったため、多くの武士に不満が生じました。
    • 具体例: 武士たちが期待した恩賞が十分に与えられず、不満が蓄積しました。特に、新たに土地を得られなかった武士や、配分に不満を持つ者たちが反発し、後に足利尊氏による反乱の原因となりました。
  2. 税制改革の失敗
    • 原因: 年貢の中央集権化や新税の導入は、地方の豪族や農民にとって大きな負担となりました。これにより、地方の支持を失い、反発を招きました。
    • 具体例: 新税の導入により、農民の生活が困窮し、各地で反乱や暴動が発生しました。また、地方の豪族が中央政府の干渉を嫌い、独立性を求める動きが強まりました。
  3. 武士階級の不満
    • 原因: 武士階級への恩賞や地位の保証が不十分であり、彼らの支持を失いました。特に、戦功に見合う恩賞が与えられなかったため、武士たちの不満が高まりました。
    • 具体例: 足利尊氏や新田義貞など、建武の新政に協力した武士たちが十分な恩賞を得られず、反発しました。これにより、尊氏が後醍醐天皇に反旗を翻し、建武の新政崩壊の一因となりました。
  4. 貴族や公家との対立
    • 原因: 後醍醐天皇は、貴族や公家の権力を制限し、中央集権化を進めましたが、これにより貴族や公家の反発を招きました。
    • 具体例: 貴族や公家が天皇の政策に対抗し、中央政府内での対立が激化しました。これにより、政治の安定が損なわれ、統治が困難になりました。

建武の新政の崩壊

建武の新政の崩壊の原因

崩壊の具体的な原因

  1. 武士の不満
    • 恩賞の不足: 建武の新政で恩賞としての土地分配が不公平だったため、多くの武士が不満を抱きました。戦功に見合う恩賞が与えられず、忠誠心が揺らぎました。
    • 経済的困窮: 新たな税制や土地政策により、武士の経済的困窮が深まりました。これにより、武士階級全体の支持を失いました。
  2. 中央集権化の失敗
    • 地方の反発: 中央集権化を目指す政策が地方豪族や地頭の反発を招きました。地方の自主性が奪われることに対する不満が高まり、中央政府に対する反抗が増えました。
    • 行政の混乱: 記録所を設置し、中央集権化を図りましたが、急激な変革により行政の混乱が生じました。特に、地方での統治が不安定化しました。
  3. 貴族と公家の反発
    • 権力の制限: 後醍醐天皇の政策により、貴族や公家の権力が制限されました。これにより、彼らの支持を失い、政権内での対立が深まりました。
    • 統治の混乱: 貴族や公家との対立により、中央政府内での統治が混乱し、政治の安定が損なわれました。
  4. 経済政策の失敗
    • 新税の導入: 新たな税制が農民や地方豪族にとって負担となり、経済的困窮を招きました。これにより、地方の支持を失い、反乱や暴動が発生しました。
    • 財政の不安定化: 経済政策の失敗により、中央政府の財政が不安定になり、政策の実行力が低下しました。

足利尊氏の役割

  1. 足利尊氏の背景
    • 足利尊氏(1305年 – 1358年)は、鎌倉幕府の有力御家人であり、建武の新政に協力した武士の一人でした。しかし、彼もまた恩賞の不足や政策に不満を抱いていました。
  2. 反旗を翻す
    • 1335年の反乱: 1335年、尊氏は後醍醐天皇に反旗を翻しました。彼は鎌倉で幕府再興を目指し、自らの勢力を結集しました。尊氏の反乱は、新政に対する武士たちの不満の象徴でした。
    • 京都奪還: 1336年、尊氏は京都を奪還し、後醍醐天皇を南朝に追放しました。これにより、後醍醐天皇の建武の新政は崩壊し、足利尊氏は新たに室町幕府を開く準備を進めました。
  3. 南北朝時代の開始
    • 北朝の擁立: 尊氏は京都に新たな天皇(光明天皇)を擁立し、北朝を開きました。これにより、日本は南北朝時代に突入し、南朝(後醍醐天皇)と北朝(光明天皇)の対立が続くこととなりました。
    • 室町幕府の成立: 尊氏は北朝の支援を受け、1338年に征夷大将軍に任命され、室町幕府を開きました。これにより、武士政権が再び確立されました。

建武の新政の影響

建武の新政が日本の歴史に与えた影響

1. 中央集権化の試みとその影響

  • 権力集中の試み: 後醍醐天皇の建武の新政は、天皇親政と中央集権化を目指しました。これにより、天皇が直接統治する体制の試みが歴史的に行われたことが記録されました。
  • 政治制度の変革: 新政は、日本の政治制度に大きな変革をもたらしました。特に、記録所の設置や土地の再分配など、中央集権化を推進するための具体的な政策が実行されました。

2. 武士階級の不満とその後の政権構造

  • 武士の反発: 武士への恩賞不足や中央集権化による権力削減により、武士階級が不満を募らせました。この不満は後の足利尊氏の反乱に繋がり、武士が再び政治の中心に戻るきっかけとなりました。
  • 室町幕府の成立: 建武の新政の崩壊後、足利尊氏が室町幕府を開き、再び武士政権が確立されました。これにより、武士による政治体制が再度強固になりました。

3. 南北朝時代の発端

  • 天皇家の分裂: 建武の新政の失敗により、後醍醐天皇は南朝を立て、京都に北朝が擁立されました。これが南北朝時代の始まりであり、日本は二つの朝廷が対立する時代に突入しました。
  • 長期的な内乱: 南北朝時代は約60年間続き、日本全土が長期間にわたり内乱状態に陥りました。この時代は、地方豪族や武士が各地で勢力を拡大するきっかけとなり、戦国時代への道を開く要因となりました。

建武の新政が南北朝時代の発端となった経緯

1. 後醍醐天皇の改革と反発

  • 天皇親政と中央集権化: 後醍醐天皇は、鎌倉幕府を倒して天皇親政を実現し、中央集権化を目指しました。しかし、これにより多くの武士や貴族が不満を抱きました。
  • 武士の不満と反乱: 特に、武士たちへの恩賞不足が大きな不満となり、足利尊氏の反乱を招きました。尊氏の反乱により、新政は崩壊し、後醍醐天皇は京都から追放されました。

2. 南北朝の成立

  • 南朝の設立: 京都を追われた後醍醐天皇は、吉野に逃れ、そこに南朝を立てました。これにより、南朝は天皇親政を続けようとする勢力の拠点となりました。
  • 北朝の擁立: 一方、京都では足利尊氏が新たな天皇(光明天皇)を擁立し、北朝を成立させました。これにより、日本は二つの朝廷が並立する時代に突入しました。

3. 長期的な対立と内乱

  • 南北朝の対立: 南朝と北朝の対立は、日本全土を巻き込む長期的な内乱となりました。この対立は、地方豪族や武士が各地で自立する契機となり、地方分権化が進む結果となりました。
  • 戦国時代への道: 南北朝時代の内乱は、各地の豪族や武士が勢力を拡大し、自立する動きを促しました。この動きが後に戦国時代へと繋がり、日本の政治体制に大きな変化をもたらしました。

おわりに

建武の新政は、1333年に後醍醐天皇が鎌倉幕府を倒し、天皇親政と中央集権化を目指して行った改革です。記録所の設置や土地の再分配、税制改革などを実施しましたが、武士や貴族の反発を招き、短期間で崩壊しました。特に、武士への恩賞不足や新税の導入が不満を高め、足利尊氏の反乱を引き起こしました。

尊氏は1336年に京都を奪還し、後醍醐天皇を南朝に追放、北朝を擁立しました。これにより南北朝時代が始まり、日本は長期間にわたる内乱状態に突入しました。建武の新政の試みは、天皇中心の統治体制を目指したものの、多くの課題と抵抗により失敗しました。しかし、その影響は後の室町幕府の成立や南北朝時代の発端となり、日本の政治体制に大きな変革をもたらしました。

建武の新政は、日本の歴史において重要な転換点であり、中央集権化と天皇親政の試みを示す事例として、後の時代に多大な影響を与えました。この歴史から、権力の集中と分散、法治主義の重要性、経済基盤の強化が現代にも通じる教訓として学べます。