開国・ペリー来航

日本史

黒船来航(くろふねらいこう)は、嘉永6年(1853年)に代将マシュー・ペリーが率いるアメリカ合衆国海軍東インド艦隊の蒸気船2隻を含む艦船4隻が日本に来航した事件。

艦隊は江戸湾入り口の浦賀(神奈川県横須賀市浦賀)沖に停泊し、一部は測量と称して江戸湾奥深くまで侵入した。結果、幕府はペリー一行の久里浜への上陸を認め、そこでアメリカ合衆国大統領国書が幕府に渡され、翌年の日米和親条約締結に至った。日本ではおもに、この事件から大政奉還までを「幕末」と呼んでいる。

黒船来航 - Wikipedia

ペリー来航

アメリカのアジア進出

  • 東アジアとの貿易を希望。貿易船や捕鯨船の寄港地として日本を開国させたい
  • 1853年 ペリーが日本に来航、4隻の黒船で浦賀に来航、開国を求める国書を幕府に渡す

1854年 日米和親条約

日米和親条約(にちべいわしんじょうやく)は、1854年3月31日(嘉永7年3月3日)に日本とアメリカ合衆国が締結した条約。神奈川条約(かながわじょうやく、英:Convention of Kanagawa)とも呼ぶ 。日本側全権は林復斎(大学頭)、アメリカ側全権はマシュー・ペリー。

この条約では「通商(貿易)は拒否するが、港は開く」として、アメリカに対し下田と箱館(現在の函館)の2港を開港し、200年あまり続いた鎖国は終わり日本は開国した。なお、日米間の通商(貿易)開始は、4年後に締結された日米修好通商条約からとなる。

日米和親条約 - Wikipedia
  • 下田、函館を開港
  • アメリカ船に食料や燃料を供給
  • アメリカの領事が下田に駐在
  • 日本がアメリカに対する一方的な最恵国待遇を約束
  • 日本は同じ内容の不平等条約をイギリス・ロシア・オランダとも結ぶ
  • 日本の鎖国体制が終わり開国

すっごく突拍子もないというか、不思議なのが全面降伏のように言われるがままに受け容れている感じがすること。ペリー来航で開国をしたと習って、へーぐらいにしか思ってなかったけど、この開国の流れを見ると、攻め込まれたわけでもないのに、あれよあれよと開国した感がすごい。

不平等な通商条約

貿易の要求

  • 1856年 アメリカ総領事のハリスが幕府に貿易を要求
  • 幕府は朝廷に条約の許可を求めるが、朝廷は許可せず

1858年 日米修好通商条約

日米修好通商条約(にちべいしゅうこうつうしょうじょうやく、英: Treaty of Amity and Commerce Between the United States and the Empire of Japan)は、安政5年6月19日(1858年7月29日)に日本とアメリカ合衆国の間で結ばれた通商条約。安政五カ国条約の2つ。

江戸幕府が調印した条約で、批准書には「源家茂」として当時の14代征夷大将軍徳川家茂の署名と銀印「経文緯武」が押印され、安政7年4月3日(1860年5月22日)にワシントンで互いの国の批准書が交換された。アメリカ全権タウンゼント・ハリスの名を冠して、ハリス条約(Harris Treaty)とも通称される。

日米修好通商条約 - Wikipedia
  • 大老の井伊直弼が朝廷の許可を得ないまま調印
  • 函館・神奈川・長崎・新潟・兵庫を開港
  • 外国人居留地での自由な商業活動が認められる
問題点
  • アメリカに領事裁判権(治外法権)を認めているので、日本の法律で裁くことができない
  • 日本に関税自主権がないため、自国の産業を守ることができない
  • 日本はほぼ同じ内容の不平等条約をイギリス・ロシア・オランダ・フランスとも結ぶ

開国はするけど、貿易はしないという意思を持っていたが、井伊直弼が勝手に調印して貿易を開始した。

これだけを見ると井伊直弼えぐいな・・ってなりそうだけど、井伊直弼はなぜそんな独断での決断に至ったのかはとても興味深い。

しかし、対アメリカに対してなぜかしょっぱなから服従感があり、違和感がすごい。黒船がよほど強烈だったんかな?

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