江戸幕府の滅亡

日本史

攘夷から討幕

攘夷の失敗

生麦事件(なまむぎじけん)は、文久2年8月21日(1862年[1]9月14日)に、武蔵国橘樹郡生麦村(現在の神奈川県横浜市鶴見区生麦)付近で、薩摩藩主島津茂久の父・島津久光の行列に遭遇した騎馬のイギリス人たちを供回りの藩士たちが殺傷(1名死亡、2名重傷)した事件。

尊王攘夷運動の高まりの中、この事件の処理は大きな政治問題となり、そのもつれから、文久3年(1863年)7月に薩摩藩とイギリスとの間で薩英戦争が勃発した。

生麦事件 - Wikipedia

薩英戦争(さつえいせんそう、文久3年7月2日 ~ 4日〈新暦: 1863年8月15日 ~ 17日〉)は、薩摩藩と大英帝国 (イギリス)の間で起こった戦闘である。文久2年8月21日(1862年9月14日)に武蔵国橘樹郡生麦村で発生した生麦事件の解決と補償を艦隊の力を背景に迫るイギリスと、主権統治権のもとに兵制の近代化で培った実力でこの要求を拒否し防衛しようとする薩摩藩兵が、鹿児島湾で激突した。

薩英戦争 - Wikipedia

下関戦争(しものせきせんそう)は、幕末の文久3年(1863年)と元治元年(1864年)に、長州藩とイギリス・フランス・オランダ・アメリカの列強四国との間に起きた、前後二回にわたる攘夷思想に基づく武力衝突事件。

敗れた長州藩は幕政下での攘夷が不可能であることを知り、以後はイギリスに接近して軍備の増強に努め、倒幕運動を推し進めることになる。

下関戦争 - Wikipedia

 

長州藩 薩摩藩
1862年 生麦事件
1863年 朝廷と結び、幕府に攘夷実行を約束させる
関門海峡を通る外国船を砲撃
公武合体派による京都から追放される
薩英戦争に敗北
過激な尊王攘夷派の公家や長州藩士を京都から追放(8月18日の政変)
1864年 勢力を回復しようと京都に攻め込むが、幕府・薩摩藩・会津藩らに敗れる
4か国の連合艦隊から報復攻撃され、下関を占領される
尊王攘夷派を京都で破る(禁門の変)
第一次長州征討に参加
  • 外国の力を知り、攘夷が不可能だとわかる
  • 幕府・薩摩藩・会津藩らと長州藩は対立し、尊王攘夷派が敗れる

 

混沌としているね~

海外の力、とりわけイギリスの強さを知っている薩摩は上手に立ち回ろうとし、そんなことは知らずに尊王攘夷を求める長州藩が頑張る。結果、長州まで攘夷は無理だと気付かされるという一連の動き。全然理解していなかったな。

倒幕への転換

  • 攘夷の失敗により幕府を倒す方針に転換
    • 長州藩の中心人物:木戸孝允・高杉晋作
    • 薩摩藩の中心人物:大久保利通西郷隆盛

薩長同盟(さっちょうどうめい)は、江戸時代後期(幕末)の慶応2年1月21日(1866年3月7日)に小松帯刀邸(京都市上京区)で締結された、薩摩藩と長州藩の政治的、軍事的同盟。薩長盟約、薩長連合ともいう。

薩長同盟 - Wikipedia
  • 1866年 土佐藩の坂本龍馬らが仲立ちして薩長同盟が結ばれる
    • 第二次長州征討には薩摩藩は不参加
    • 幕府軍が長州藩に敗れる

 

攘夷は無理やけど、ほなら幕府倒そうぜ!って方針転換のえげつなさすごいな。

そして、これぐらいの時代背景、漫画や映画でよく見るわ…。病弱設定の高杉晋作の居る長州藩、ごっつい男の西郷隆盛。そして、その仲介役として活躍する坂本龍馬。よく見るわ…。1860年代の日本、熱いわ。

で、薩長同盟を結んだので第二次長州討伐には薩摩は不参加ってなると、幕府軍が負けるというのも、すごいというか。幕府はメンツ丸つぶれやね…

幕府の滅亡と新政府の樹立

民衆の動き

  • 開国後は政治・経済が混乱
  • 民衆は世直しを求める
  • 一揆・打ちこわしが多発
  • 各地で「ええじゃないか」と唱えて集団で踊る騒ぎが起こる

 

世の中が混乱したら、混乱を後押しする「ええじゃないか」と煽る集団が起こる。こういう感じは日本だけじゃなく世界でも見るので、世の中が乱れた時にはこういう動きをしてしまう何かが人間にはインプットされてるんだろうね・・・。

政府の動き

大政奉還(たいせいほうかん)は、慶応3年10月14日(1867年11月9日)に日本の二条城で江戸幕府第15代将軍・徳川慶喜が政権返上を明治天皇へ奏上し、翌15日(1867年11月10日)に天皇が奏上を勅許したこと。

大政奉還 - Wikipedia
  • 1867年 大政奉還
    • 内容:15代将軍 徳川慶喜が政権に朝廷を返す

日本における王政復古(おうせいふっこ)は、明治維新により武家政治を廃し君主政体に復した政治転換を指す語。岩倉具視ら倒幕派公卿と、尾張藩、越前藩、土佐藩、安芸藩、薩摩藩の5藩による政変、革命であり、これに対し幕府体制派は戊辰戦争を展開した。

江戸幕府第15代将軍・徳川慶喜の大政奉還を受けて、慶応3年12月9日(1868年1月3日)、京都御所の御学問所にて明治天皇より勅令「王政復古の大号令」が発せられ、江戸幕府廃止、同時に摂政・関白等の廃止と三職の設置、諸事神武創業のはじめに基づき、至当の公議をつくすことが宣言され、新政府が成立した。

王政復古 (日本) - Wikipedia
  • 1867年 王政復古の大号令
    • 天皇を中心とする新政府の樹立を宣言
    • 岩倉具視や薩摩藩らは旧幕府勢力を政治の中心から追い出す

戊辰戦争(ぼしんせんそう、慶応4年 / 明治元年〈1868年〉- 明治2年〈1869年〉)は、王政復古を経て新政府を樹立した薩摩藩・長州藩・土佐藩等を中核とする新政府軍と、旧江戸幕府軍・奥羽越列藩同盟・蝦夷共和国(幕府陸軍・幕府海軍)が戦った日本近代史上最大の内戦。名称の由来は、慶応4年・明治元年の干支が戊辰であることからきている。

新政府軍が勝利し、国内に他の交戦団体が消滅したことにより、欧米列強は条約による内戦への局外中立を解除した。これ以降、明治新政府が日本を統治する合法政府として国際的に認められた。

戊辰戦争 - Wikipedia
  • 1868年 戊辰戦争が起こる
    • 不満を持つ旧幕府軍 vs 新政府軍
    • 鳥羽伏見の戦いから始まる
    • 新政府軍が勝利
    • 江戸城無血開城
    • 1869年 五稜郭の戦いで旧幕府軍は降伏

ああ

 

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