明治初期の外交

日本史

岩倉使節団の派遣

岩倉使節団(いわくらしせつだん)は、明治維新期の明治4年11月12日(1871年12月23日)から明治6年(1873年)9月13日まで、日本からアメリカ合衆国、ヨーロッパ諸国の米欧12ヶ国に派遣された使節団である。

岩倉具視を特命全権大使とし、首脳陣や留学生を含む総勢107名で構成された。当初の目的であった不平等条約改正の交渉は果たせなかったものの、日本近代化の原点となる旅として、明治政府の国家建設に大きな影響を与えたことから、日本の歴史上でも遣唐使に比すべき意味をもつ使節とも言われる。

岩倉使節団 - Wikipedia
  • 1871年から岩倉使節団が約二年間欧米を視察
    • 目的:欧米との不平等条約の改正など
    • 全権大使:岩倉具視
    • 参加:大久保利通・木戸孝允・伊藤博文など。津田梅子や中江兆民ら留学生も同行
      • 不平等条約の改正交渉は失敗したが、欧米から学ぶことで日本の近代化を推進

名前はちょくちょく見聞きしていた岩倉使節団。結構重要な存在だったんだと初めて知った。
しかもメンツは幕末からの重要人物で構成されている。その中心にいる岩倉具視って何者やねん…。

清・朝鮮との関係

清との関係

日清修好条規(にっしんしゅうこうじょうき)は、1871年9月13日(明治4年7月29日、同治10年)に、天津で、日本と清の間で初めて結ばれた近代的な条約。両国にとって開国後、初めて外国と結んだ「対等」条約であった。

ただし、互いに領事裁判権と協定関税率を認め、最恵国待遇を欠くなどの面で、変則的な対等条約であった。相互に開港することなどを定めており、この条約と同時に、通商章程と海関税則も調印された。

日清修好条規 - Wikipedia
  • 1871年 清との間に対等な日清修好条規を結び、正式に国交を開く

朝鮮との関係

征韓論(せいかんろん)は、日本の幕末から明治初期において唱えられた朝鮮侵略論をいい、一般的には、1873年(明治6年)の対朝鮮論をさすことが多い。

1868年、明治維新に踏み切った日本の新政府が、王政復古を朝鮮政府に通告する書契を発送した。 しかし、朝鮮政府は西界の格式が以前とは違うという理由で受付を拒否した。 すると日本では朝鮮を征伐しなければならないという主張が提起されたが、これを「征韓論」という。1873年、日本政府は朝鮮に使臣を派遣する問題で対立し、政争で押された西郷隆盛と板垣退助などが辞職した。 この事件は1873年政変または明治6年政変と呼ばれるが、政変の背景に朝鮮出兵議論があり、征韓論政変ともいわれる。 概して日本史研究で定めた論は1873年の政変と関連があると認識されるが、その背景にも幕末の朝鮮侵略の主張があり幅広く19世紀後半の朝鮮侵略論と理解されることもある

征韓論 - Wikipedia
  • 留守政府では征韓論が起こる
    • 内容
      • 武力で朝鮮に開国を迫る政策
      • 西郷隆盛や板垣退助が中心となる
    • 1873年 欧米から帰国した岩倉具視・大久保利通らは国力充実の優先を主張
    • 結果:政府は分裂し、西郷隆盛や板垣退助は政府を去る

江華島事件(こうかとうじけん、カンファドじけん)は、1875年(明治8年)9月20日に朝鮮の首府漢城の北西岸、漢江の河口に位置する江華島(現仁川広域市江華郡)付近において日本と朝鮮の間で起こった武力衝突事件である。

朝鮮西岸海域を測量中の日本の軍艦雲揚号が、江華島、永宗島砲台と交戦した。日本側の軍艦の名を取って雲揚号事件(うんようごうじけん)とも呼ばれる。日朝修好条規締結の契機となった。

江華島事件 - Wikipedia
  • 1875年 江華島事件
    • 内容:日本の軍艦が無断で測量したことで朝鮮と衝突

日朝修好条規(にっちょうしゅうこうじょうき)は、1876年(明治9年)2月26日(時憲暦光緒2年=高宗13年2月2日)に日本と李氏朝鮮との間で締結された条約とそれに付随した諸協定を含めて指す。条約正文では「修好条規」とのみ記されているが、通例として朝鮮国との修好条規(ちょうせんこくとの-)、日朝修好条規、日鮮修好条規(にっせん-)などと呼称する。

当時東アジアで結ばれた多くの条約と同様、不平等条約であった。江華島で調印されたため江華島条約(カンファド/こうかとう じょうやく)とも、丙子の年に結ばれたために丙子修交条約(へいししゅうこうじょうやく)ともいう。

日朝修好条規 - Wikipedia
  • 1876年 日朝修好条規
    • 内容
      • 朝鮮にとって不平等な条約を結ばせる
      • 日本の領事裁判権を認めさせる
      • 挑戦には関税自主権がない

トップが居ない間に、近隣国を開国させようぜって機運が高まったり、そのせいで政府が分裂したり、相変わらず血気盛んというかなんというか…。

で、今なら考えられない他国を勝手に測量しだすとか、服のサイズと体の動きがあってないようなことをしている印象。

日清修好条規、留守政府で征韓論、江華島事件、日朝修好条規。この流れは試験に出そう。

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