愛を与える立場に立つ事で今まで与えられてきた愛に気付ける

恋愛

大切な人のために、自分のできる事をする

愛情表現としての基本です。
奥義とも言えるかもしれませんね。

あなたもそれを実践されていますでしょうか?

もし実践されているのなら、「与えようとする事で、与えられていた事にどんどん気付いてきた・・・」という体験もされたと思うのですが、いかがでしょうか?

この変化は、自分という人間の世界観を変えてしまうかもしれません。

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愛を与える立場でぶつかる壁

始めはこんな頭でっかちな知識から入りました。

「愛する人に与える事が、その愛を持続させるための秘訣だぞ」的な。

ふむふむ。
じゃあ与えていこう!と思ったけど、いざ与えるとなった時に、与えるってなんだ?どうすりゃいいんだ・・・?となる。

そこでこんな事に気付くんです。

自分は与え慣れてない

「愛を与える」となってそれがわからないということ。
つまり、それだけ今まで実践していなかったという事か・・・という事に想いを馳せる事になります。

自分は愛を与えるって事をこれほどまでにしていなかったのか・・・と自己嫌悪しはじめるんです。

実は、これが与える側に回ってみるという意識づけによって得られる最高の経験であり、自分を大きく変えるキッカケにもなったように思います。

何かを与えるって超ムズイ

愛を与えるって事に慣れてない時点で、それは超ムズイって事に気付きます。

それと同時に、色々な事が頭をよぎります。

  • 受け取ってもらえるのか?
  • 本当に自分の愛で良いのか?
  • 自分の愛なんて必要なのか?

愛を与えないための言い訳を始めるんです。

また、これも自分を成長させるためには必要な学びなのですが、とにかく何もしないほうが良いのでは?という結論に至りそうな事ばかりが頭をよぎります。

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与えるのは難しいという前提で今の自分を見る

人に愛を与えるという事は、意識してやってみようとすると本当に難しい。

愛ってなんだ?って事にまで疑問は至りますが、そこを考えると深くなるので一端横に置いといて、意識を少し逆転させてみると大きな発見があります。

みんな、どうやって愛を与えているのだろう?

この視点で今を見てみると、色々な発見があります。
特に次のような事を軸にしていくと、更に大きな発見があります。

愛失くして生きていけない

人間には愛が無くして生きられないという法則性?のようなものがあります。

子供の世話をするにも、その子供をいとおしく思っているという愛がそこにありますし、よそ様であっても、困っている人がいれば、助けてあげたいという愛がそこに働きます。

つまり、自分が今生きているのは、色々な人が愛情を持って接してくれたおかげでもあります。

では、どんな風にどんな人が、どんな思いで接してくれていたのだろうか・・・と思いを馳せてみると、なんとなくでも見えてくる事があると思います。

不安を乗り越えた勇気と愛情

与える側に立った時に感じた不安。
もし、それと同じように感じながらも何かを自分自身に対してしてくれた人がいるのだとしたら。

その勇気の大きさを感じる事ができるかもしれません。

自分なんて、こんな事、と自分を否定するような言葉がよぎったのに、それでも、何かしてあげたいと思ったからこそ、してくれたのだと思います。

ほんの小さな事であっても、その背景には葛藤があったり、大きな勇気が必要だったのかもしれません。そして、それらは愛しているが故かもしれません。

不器用な愛情表現もある

自分へ向けられた愛情。

その中には下手くそな愛情表現だった人もいるかもしれませんし、中には躊躇って何もしなかった人がいるかもしれません。

それでも、そこには「何かしてあげよう」と思ったという痕跡があります。

してもらった事が全てではないし、嬉しかったから愛があったとも限りません。

してもらわなかったけど、しない方が相手のためという愛情表現もあるし、相手に喜んでもらえなかったけど、その人なりの愛情表現だったという事もあるはずです。

愛情表現の成功と失敗という視点から一段上げて見てみると、自分自身には色々な形の愛が注がれていた可能性があります。

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被害者意識から抜け出せたかもしれない・・・

そもそもは「被害者意識が強い」と彼女に言われた事が自分を見直すキッカケでした。

俺って被害者意識が強いのか・・・と思って色々と調べていく中で、そういうスタンスでいるほうが都合が良いからそこにこだわっているという答えに行きつきました。

なぜ被害者意識が強いほうが都合が良いのかとなると、そのほうが構ってもらえる気がしていたからです。可哀そうとか、頑張ってるねと言ってもらえるから。そんな仮説を持つに至りました。

そんな僕を変えるキッカケになったのが、この記事 の「愛されることには慣れているが、愛することには慣れていない」という言葉でした。

あれ?俺ってもしかして、それじゃね?記事の内容もバッチリ似てるし。
え?愛され慣れてるのか・・・?と。

そう思うと途端に、色々な人の顔が脳裏に浮かびました。
そうだ、愛されていたんだ・・・と。

そして、愛を与えようとしてみたら壁にぶつかった。
自分には与えられる愛なんてないと思った。

そんな愛する事の難しさを感じると同時に、自分に向けられた数々の想いに気付き、自分は愛されていた・・・と気づいてしまったという、なんとも不思議な事が起こったんです。

そこで一気に被害者意識のポジションから抜け出した気がします。

何も可哀そうじゃないし、小さなころから、色々な人に未熟で不完全な自分を愛してもらっていた。

自分にとっては辛い愛情表現も中にはあったけど、でも、あれはあれで、あの人なりの愛情表現なのかもしれない・・・と思うと、愛情表現に囲まれていたな・・・と。

申し訳ないような、嬉しいような。そんな感覚になりました。

愛を与えようとすると急に愛されていた事を実感したこの体験は、「欲しいモノを与えよう」という言葉そのままです。

僕が実践したのは”愛を与えるというスタンスに行ってみる”という、自分自身の想いの変化だけです。

是非、できるのかどうかの前に、一度、そのスタンスに立ってみるという事にチャレンジしてみてください。

それだけでも得られるものがたくさんありますよ。