愛し方を上達させるために意識しておきたい1つのこと

管理人ブログ
この記事は約6分で読めます。

誰かを愛する

高貴な言葉ではありますが、実際に「愛するのが上手い!」と自信がある人ってそう居ない気がします。

「愛し方ってこれでいいのか?」と不安に思うのが普通で、そう不安に思えているのは、愛したいと思っている証でもありますので「愛するのが上手い」と思っている人よりも、不安を感じている人のほうが愛し上手なんじゃないかな?と思っています。

とはいえ、愛し方って上達するのだろうか?という疑問が頭の中にあると思います。

大丈夫ですよ、愛し方は上達するらしいですよって事を今から書きたいと思います。

スポンサーリンク

愛する事は才能じゃなくて技術である

愛し方について、心理学者のエーリッヒ・フロムという方がこんな事を言っています。

愛する事は技術である

愛する事は技術なんだよ、と。

技術と書くと、テクニック的な小手先の事をイメージするかもしれませんが、逆説的に「愛する事は才能じゃない」と言っているんだと捉えるのがちょうどいいかもしれません。

才能じゃないんです。

生まれつきに決まっていて個人差がハッキリと分かれる能力ではなくて、生きている過程で習得して行くものなんだよということです。

だから、習得したり上達させたりできますよって事なんですが、この説明だけでガッテン頂けるとは思ってませんので、どういう事なのかということを説明したいと思います。

愛し方をどこで学ぶのか

思いやり手段
先天的生まれつき備わっている生まれつきで手段は持たない
後天的生活の中で更に深まっていく手段は生活の中で学ぶ

僕は”愛し方”は次の2つの要素で形成されていると思っています。

  • 思いやり
  • 手段

この2つです。

思いやりの心があり、その思いやりの心に突き動かされて取る行動(手段)の合わさった形が”愛し方”である。

そう捉えています。

例えば、小さな子供が泣いている。
その子供が泣いているのは可哀そうだと感じ、変な顔をしてみたり、話しかけてみたり、おやつをあげようとしたりする。

この、泣いている子供を見て放っておけない気持ちが”思いやり”で、その子供の為に何かをしてあげようと思ってする行動が”手段”で、その二つが合わさる事が愛し方です。

その上で敢えて上手に愛せるという事とはどういう事かというと、”思いやる気持ちを表現するための手段のバリエーションが豊富である”ということです。

もう少し説明を深めていきますね。

思いやりとは何か

思いやりの気持ちとは何かを説明すると味気なくなりそうなので、フワッとした所で留めておきたいのですが・・・一応、僕の理解している範囲ではこうだと思っています。

人間は哺乳類です。
哺乳類は群れで生きる種ですので、その種を保つための回路が組み込まれています。

傷ついている種が居れば、それをなんとかしてあげなくちゃ!と思う。

そうしないと群れの数が減り、それは自分たちにとっても良くない事なので、種を保つ目的として備わっているのが”思いやり”です。

だから、哺乳類には思いやりが標準装備されていると僕は捉えています。

(ね?味気ないでしょ?)

愛し方とは何か

その思いやりを表現する手段・方法は1つではありません。

失恋して泣いている友達が居れば慰めてあげる事もできるし、新しい出会いを提供してあげる事もできるし、気分転換できるような場所へ連れてもいけるし、話も聞けます。

時には、一喝する事も必要な時があるかもしれません。

色々な手段があります。
これら手段のバリエーションは、生きながら学び習得して行きます。

愛し方が技術であるとされているのは、ここだと僕は捉えています。

愛し方は生活の中で学習して行きます。

愛し方を習得するには

愛し方は技術であり、それは生きていく中で学び学習していくものだとしたら、どうしても、個人差が生まれてきますし、そうであって当然なんです。

なぜなら・・・

  • 生まれ育った環境

が違うためです。

愛し方をどこでどのようにして学ぶのかとなると、それは自分自身に向けられている愛し方です。

例えば、子供が親の口癖をマネしている動画とかありますよね?

子供は何の悪意もなくマネをしているのですが、あのように親のマネをしながら、表現する方法を習得していきます。

何かをしたらきつく叱る親なら、その子も妹や弟に対して、同じような口調で叱責したりします。

それは、皮肉でそうしているのではなくて、その時の表現方法としてそれしか持っていないためです。

親や、周囲の人たちの自分との接し方を見ながら、その方法を習得して行きます。
だから、生まれ育った環境の違いは、そのまま愛し方の違いになってきます。

誤解があるといけませんが、だから良いとかだからダメと言っているわけではありませんからね。そういうモノなんだよってことです。

そして、愛するための表現方法は、才能として備わったものではなく、環境の中で習得したモノなのだから、後からどんどん習得していく事もできるし、使い分ける事もできるよって事でもあります。

愛する事は技術という考え方の良い所

愛し方が技術であるという言葉が秀逸だな・・・と僕が思っている理由として、次の2つがあります。

  • 後からどんどん習得する事ができる
  • 使い分ける事ができる

この2つです。

実際に大人になり色々な経験を経ていく中で、自然とそれらが出来るようになっていっています。

例えば、道端でお腹をおさえてうずくまるお年寄りが居たとします。

なんとかしてあげたい!
でも、あなたは大切な予定の待ち合わせ時間に間に合うかどうかのギリギリのタイミングだとします。

そこでどうすればいいのでしょうか?

ここで色々な方法が思い浮かぶと思いますが、それら全てが愛し方のバリエーションであり、使い分けをしているというコトです。

予定を後回しにして助けるでもいいし、近くに居る人に事態を伝えて後は任せるでもいいし、救急車を呼ぶだけ呼んで立ち去るでも、そこでできるベストの方法でその人を助けようとしたのなら、”愛し方”だと呼んでいいはずです。

何が正解で何が不正解なのかは誰にもわかりません。

ただ、誰かのためにベストな方法は何かを考えて選択して行動を起こす。

これは思いやりである事は間違いがないし、愛し方の表現そのものではないでしょうか?

そして、そられは、生きていく中でどんどん習得する事ができます。習得した後、磨きをかける事もできるかもしれません。

それらを状況に応じて使い分ける事もできます。
だから、愛するという事は技術なんです。

習得可能であり、使い分け可能なのですから。

愛する事に悩むのが人生

「愛する」という事に終わりはないと思います。

恐らく、人生の終わりに差し掛かっても”完璧な愛し方ができている”と思える事はないと思うし、だからこそ、常に相手の事をあれこれ考えて、どうすればいいのだろう・・・と思い悩むはずです。

そして、そうして思い悩むことそのものも、愛する事の一環だと思います。

その上で、愛するという事は技術であるということ。

どんな環境に育ってきたのかは人それぞれで個人差がありますが、決して愛するという事は才能ではないということ。

もし運が悪く、良い愛され方をしていない環境で育ったとしても、それ以外の愛し方を学ぶ事はできるし、学んだ他の愛し方を使うんだ!と選ぶ事もできます。

なぜなら愛するということは技術だからです。

そして、もしあなたの好意や思いやりで起こした行動が相手にとってあまり喜ばれる事じゃなかったとしたら。

それは、あなたの中にある思いやりがダメなのではなくて、たまたま選んだその愛し方の技術がその人には合わなかっただけです。

他の技術を使えば良かったかもしれません。
では、他の技術とは何なのか・・・を考えて、学んで習得すれば良いってだけです。

そういう捉え方をしたほうが、愛する事が少し楽になりませんか?

僕自身、決して愛し方が上手いとは思ってませんが、だからこそ、まだまだ伸びしろがあるんだ!と思って、少しずつ少しずつバリエーションを増やせるように日々精進しています。

「これで完璧!」と思える事はありませんが、それでも以前よりは上手くなったと思っていますよ。

そういう意味でも、愛し方を学ぶために遅すぎるという事はないとも思います。

よければ参考にしてみてください。

タイトルとURLをコピーしました