自己肯定感が低い人ほどネガティブな本音を吐き出す練習をしよう

管理人ブログ

自己肯定感が低いかも・・

そう自覚している人には、是非日記をつけることをオススメしたい僕です。

なぜなら、僕が日記を書くことが自己肯定感を高める上で大きな効果があったと実感しているからです。

もちろんただ日記を書けばいいって事ではなく、ちゃんと自己肯定感を高めることを意識して日記を書くことが重要ですが、ポイントを抑えて日記を書けば自己肯定感は確実に高まっていくというのが僕の体験からも言えることです。

そんな事を少し書かせてもらいます。

※記事内容は執筆時点(修正時点)のものですので、ご了承ください。

自己肯定感って要するになに?

日記を書き続けている中で、少し書き方を工夫してみたらすっごく効果があったな・・・と思うことがあります。

それが不平や不満、不安を日記のなかのちゃんと書くということです。

単に出来事を記すのではなく、良い事ばかりを書こうとするのではなく、むしろ、嫌な思いをしたコト、イラっときたことを、その出来事となぜそう思ったのかを深堀してかく。

(ここ結構大切。深堀して書く!)

そうすると自己肯定感って呼ばれるようなものは上がるし、それが上がっていくと感じ方が変わり、世界が変わります。マジで。

そんな事を少し具体的に書きます。

そもそも自己肯定感って何よ

自己肯定感って言葉が一部で市民権を得た感があります。

よく本も出てますから、そういったものを読んで勉強している人も多いかもしれませんし、僕もそういう本を読んでいる人間の一人です。

ただ、自己肯定感って言葉から何を指しているのかがわかりにくいんじゃないかな?と思うんです。

自分を肯定する感覚って言われてもピンとこないと思いますが、僕が散々勉強してきた中で感じているのは、避けたい感情、避けたい感覚がない人=自己肯定感が高い人です。

ムカつくとか、悔しい!とか、味わいたくない感情ってありますよね。
その味わいたくない感情すらも、湧いてきたなら仕方がないって思える感覚が自己肯定感です。

それが高い人ほど人生が楽になるって事なのですが、そりゃそうだろって思いません?
味わいたくない感情すらも平気で受け流せるのですから。

でも、そこが分かるとどうすれば自己肯定感が高くなるのかってわかってきますよね。

味わいたくない感情を味わう練習

自己肯定感を高めるには、自分が味わいたくない感情を味わう練習をするってのが効果的なんです。(正確には自己受容感を高めると言います)。

惨めとか敗北感とか、そういう感情をちゃんと味わうこと。
それが自己肯定感を高めることになります。

分かりやすいのが、日常の中で感じる怒り。
怒りまでいかなくても「クソ!」とか「なんでやねん!」って感じる場面。

そこを掘り下げてみるのです。
・・・って言われると、嫌やわ!ってなりますよね。

それがもう答えなんです。

自己肯定感が低いと、苦手な感情が沸き上がる場面は避けたくなります。

その苦手な場面が増えれば増えるほど、日常生活の中には地雷がたくさん埋まっているような気がしますので、息苦しくなりますし、緊張感もほとばしりますし、疲れます。

だから、そのような場面に慣れてしまう。
日記の中に再現して、その時の自分の感情を味わうことで、その感情に慣れていく。

これが自己肯定感を高めることに繋がってくるというのが、僕の実体験から思う事です。

自己肯定感を上げるために日記に書くこと

自己肯定感を高めるために、なんで日記なのか。
そして、何を書くのか。

その点について少し詳しく書かせてもらいます。

日記を用いる理由は、”書く”という作業が重要だからです。

感情は認識すると弱くなる

感情や感覚は、認識すると弱くなるという性質を持っています。

例えば、緊張している時に「緊張している」と自分で言葉に出して自覚すると、緊張感は小さくなります。逆に、緊張しているのに「緊張なんかしていない」と思うようにすればするほど、緊張感は強くなります。

感情は避ければ避けるほど強くなり、自覚して認識するほど弱くなるという性質があります。

日記に感情を書くというのは、その感情を自覚して認識するという行為に他なりませんから、その感情を弱める効果があります。

これが1点目です。

自分を知れる

日記に自分の感情を書く時、その感情を抱いている理由を合わせて書くことで、自分を知ることができます。

ムカッときた。

これを書くだけでも十分に効果はあるのですが、なぜムカッときたのかを何度も何度も自分に問いかけながら書いていきます。

例えば、「ラーメン屋で列に並んでいると割り込まれた。ムカッときた。」と日記に書いたとします。

その一行を更に深堀してみるのです。
なぜムカッとくるの?と。

みんな守っている、ルール違反だ、我慢している・・・色々と出ると思います。

あれこれ書いていると、つまり「俺も列に並びたくないのに並んでいるのに、割り込むなんてズルい!」みたいなものが出てくることがあります。

この本音の部分まで深堀して言葉にすることが超大切なんです。

自己肯定感が低い人がそうなってしまった理由

自己肯定感が低い人は我慢がうますぎる人なんです。

長男や長女と呼ばれる立場の人は、特にそういうことを強いられて生きてきたために自己肯定感が低い状態になっているような気がします。

「xxだから我慢しなさい」という一見すると因果関係がないようなことを正当化して価値観の中に埋め込まれ続けた人は、自己肯定感が低くなっています。

逆に言うと自己肯定感が高い人は我慢をしていない人です。
先ほどの例のような、列に横入りすることを指しているわけではありませんよ。

辛いことは辛いという、嫌なことは嫌という、嬉しいことは嬉しいと伝える。

これらが出来る人は自己肯定感が高い人と言われますが、つまりは、自分の思いに我慢をさせたりしていないということです。

自己肯定感が低い人は、辛いことを辛いと言うのはいけない事だからと我慢をしてきた、嫌なことをイヤというのはダメだから我慢をしてきたなどなど、思いを我慢で蓋することになれています。

そしてどんどん思いを表現することが苦手になり、思いを我慢することや無視することに長けていきます。

そのサイクルを止めないと自己肯定感が高くなることはありませんので、まず練習として日記に思いを全て表現して見る。特に、苦手な感情や苦手な感覚を全て言葉にしてみる。

それを積み重ねていくことが自己肯定感を高めることに繋がりますので、だから、日記を書いてみよう!という話になってきます。

つまり・・・

日本人は我慢を美徳としています。

やせ我慢みたいなのはみんなどこかでしているものかもしれませんが、大抵の場合は、その我慢は心を蝕みますし、後々で恨みに繋がったりします。

彼氏や彼女のためを思って我慢してきたけど、相手は何もわかってくれないという恨みが大きくなるってのはよくある話ですよね。

逆に、何も我慢せずに、自由奔放に思いのままに生きている人のほうがパートナーに愛されているというのもよくある話です。

自己肯定感が高くなると自分の思いを我慢させませんから、全てがわかりやすくなります。

嬉しい時は100%で喜ぶし、寂しい時は寂しいと伝えるし、悲しい時や嫌な時もちゃんと伝えるので、相手もわかりやすいんです。喜ぶことをしてあげよう、嫌なことはやめようとなるので、結果的に上手くいきやすくなります。

我慢が美徳とする日本人の価値観、これは本当に美徳なのか?と考えるべき時代だと思いますよ。

そして、そんな我慢に慣れてしまっている自己肯定感が低い人がそこから抜け出すためには、まず自分の感情を言語化する練習をする。

今まで我慢で押さえつけてきた事ですから全然うまくいきませんが、突破口を見つけると早いです。

それまでが一番しんどいので、勇気を出して、腹をすえて、自分の感情の我慢をしている部分を全開放するんだ!とトライしてみることをオススメします。

すると、いろいろな事がラクチンになりますよ。

そこでとっても有効なのが日記に自分のドロッとした部分を吐き出す練習をするということです。
日記ですから誰にも見られませんし迷惑をかけるわけでもありません。

好きに思いっきり書いていい場所です。

それでも自己肯定感が低い時はなかなか筆がすすみません。
それでもトライしていくうつにだんだんと自分の思いを言葉にできるようになり、それに比例してどんどんラクチンになってきますよ。

ラクチンになった状態は、自己肯定感が高い状態ですので、見るモノ聞くものへの感じ方も変わっていることを必ず実感できます。

だから、自己肯定感を上げたいと思うなら、日記に自分のドロッとした部分を書きまくろう!

オススメです。

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