生きるのを少しだけ楽にする1つの過酷な決断

自分磨き

毎日を楽しいと感じながら生きることを求めるのは、ハードルが高いかもしれない。
でも、毎日を辛くないと感じながら生きることは、心がけ一つでできるかもしれない。

そう思うんです。

それをやるのは簡単ではないかもしれませんが、頭で理解しておいて、自分の中で今がその時だというタイミングがきたら決断をしてみる。

そういう感覚で捉えておいたほうがいいことってのがあるな、と思います。

それが親の期待に応えることをやめる。
正しく言うと、親からの間違った期待に応えるのを辞める。

その決断が出来れば、人生は少し楽になる気がします。

でも、その決断が遅ければ遅いほど、今まで生きていた人生をやんわりと否定することにも繋がりますので、大きな勇気が必要だし、大きな負担がかかることを受け入れなくてはいけません。

それでも、親からの間違った期待に応えて生きることほど人生を無駄にするものはないと思っています。

※記事内容は執筆時点(修正時点)のものですので、ご了承ください。

親からの期待に応えたいという本能

親からの期待に応えたい。
子供がそう思うことは自然の心理なのだと思います。

親の期待に応えたいという一心で努力したり、挑戦したりを重ねていき、一人前の大人になるのかもしれませんが、自分自身がシックリこないし、満足感や達成感が無く、ともすればどこかに恐怖心のようなものがあるのなら、そのまま親の期待に応えるというのは間違っていると思うのです。

だから一度立ち止まって考えてみてほしいのです。

親からの期待というものを無条件に受け入れることが正しい事なのか。

その期待に応えることが正しくて、期待に応えないことは間違っている事であり罪悪感を感じることだとするなら、それは一種の呪いのようなものにかかっている状態だと思います。

期待は全てが正しいわけではない

期待をする、期待をされる。

そういうことは人間関係の中には大なり小なりあると思いますし、近しい人ほど、その期待に応えたいと思うモノです。

そこに責任感というものがミックスされると、期待が使命感を帯びた存在になります。
例えば”長男だから”みたいな言葉で表現された期待は、長男の使命感を帯びて、より強制力の強いモノになります。

そんなことを小さなころから繰り返していますから、期待に応えることは当たり前の事のように感じている人も少なくないと思いますが、僕は次の2つの事をいつかどこかで決めくてはいけないと思います。

  • どの期待に応えつづけなくてはいけないのか?
  • 応えるべき期待と応えなくていい期待の違いは?

今を辛いと思って生きている人は、間違った期待、行き過ぎた期待に応えようとしているのではないかなと思います。

特に親などの近しい存在から寄せられた間違った期待、行き過ぎた期待が苦しみの根源になっていると思います。

東大に入らなければうちの子じゃないという期待

例えば、東大に入ることが親からの期待に応えることだと思っているとしたら。

本人は真摯に誠実にそれに応えるべく頑張っているとは思いますが、その期待に応えることが子供として正しくて、応えられない時は子供じゃなくなるのか。

結論は本人が出すしかありませんが、僕は東大に入らなくても子供は子供だと思います。

東大に入っている人すべてがその親の子供ってわけではありませんから、東大に入らなければ子供じゃないという理屈は合理的ではない、間違った期待だと思います。

でも、本人はその期待に添いたくなくて苦しんでいるのなら、果たしてその期待は応えるべき正しい期待なのか、その期待に応えられなければ親子の関係が断絶となるのなら、断絶してしまってもいいのでは?

そういう部分を自問自答して見たほうが良いような気がします。

親の宿題を期待として託されていることもある

僕は親から子供への期待というものには、純粋なものから、トラウマの復讐としてのものまでさまざまなものがあると思っています。

子供が健康で幸せに生きてほしいというのは、親子の純粋な愛から生まれる期待だと思います。

でも、例えば、自分がなれなかったプロ野球選手になる夢をお前が叶えてくれって期待は、一見すると美しい親子愛のようで、子供がそれを望んでいないことなのだとしたら、親のトラウマ回収役を子供にやらせているだけです。

いわば、親が自分の未解決の問題を解決するために子供を利用しているだけで、それは間違った期待のかけ方です。

そこに親が気づけばいいのですが、親も人間です。

間違いに気づけないこともありますから、子供側で、応えるべき期待はどれで、応えなくてもいい期待はどれかを見極めることが大切だと思っています。

最悪、期待に応えられなければ親子の縁が切れるとなるのなら、そうなっても生きていける強さを身につけておくことが重要で、それが本当の親離れだとも思っています。

他人の間違った期待を捨てられる自分になる

親の期待に応えなければならないと思うのが子供ですが、その期待がいつも正しいものばかりとは限りません。

突き詰めると、親が子供に寄せる期待は幸せで健康に生きてほしいという事であって、こうなるべき、こうあるべきという期待は、子供の個性を尊重していない間違った期待の寄せ方だと思います。

それが理由で苦しい思いをしている子供も多いと思います。
(子供と書いていますが、全ての人が誰かの子供なので、そういう意味で全ての人を指しています)

だから、親の期待に全て応えようとしていないかどうか、そして、寄せられている期待は応えなくてはいけないものなのかを一度確認して見る。

間違った期待=親の人生の宿題を代わりにやらそうとしているものなら、それは親の宿題なので突き返してOKです。そんなものまで背負う必要はありません。

そうやってすべてを整理していくと、親に対してしなくてはいけない事なんてものは一つもないことに気づくはずです。

それをやりたいなら、やればいいというだけです。
そうしているのが幸せ、そうしているのがラクチン、それでいいはずです。

応えるべき期待は”幸せで楽しく生きること”で、親から寄せられる他の期待がそれを邪魔しているのなら、その”他の期待”は捨てて良いはずです。

本当はそれに親が先に気づくべきですが、気づくのに時間がかかる親もいれば、それに気づけない親もいます。子供からの見返りに固執する親もいます。

だから、先に子供側が気づいたのなら、子供側から行動を起こして親に気づかせることも大切だと思いますし、現実的にいきなり親と距離を取るのは・・・と思うなら、いつでもそれが可能な状況や環境を作ることから始めてみてもいいんじゃないかな?と思います。

自分が親と縁が切れても生きていけるという強さを持てば、親の期待に応えないという選択肢に現実味もでますし、逆に言えば、自分も親の存在にどこか甘えているから、期待に応えなくちゃいけないと思っている部分もあるはずです。

そんな事を思う今日この頃です。

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