親の言いなりになることに疑問を持つことが自分を取り戻す一歩

管理人ブログ

当たり前を当たり前と思わないこと

そんな事が自分を変えたり、状況を変えたり、環境を変えるキッカケになることはよくあります。

そんな”当たり前”の1つに、親と子の関係性というものがあると思っていて、時にはその”当たり前”は実は非常識という事もあります。

ちょっとしんどいですが、親と子の間にある当たり前というものを疑ってみるのも、自分を変えるキッカケになると思います。

 

これは先日の僕の体験したことではありますが、母親から「XXさんに俺からもお礼を言っておいて」という連絡がありました。

連絡をすることは別に良いのですが、この母親のセリフに違和感を感じたのです。

それを”当たり前”だと思っているのか・・・と。

※記事内容は執筆時点(修正時点)のものですので、ご了承ください。

母の当たり前と僕の違和感

本当に些細なやり取りで、僕の人生の中では比較的日常的な事でもありました。

でも、離れてくらし、半ば縁を切っている状態の中で時々連絡が来て、当たり前に言われることに違和感を感じる事があって、先日もそれがありました。

ワクチン接種の2回目を終えた母

2回目のワクチン接種を終えましたよ。

そんな連絡が急に僕の携帯に母からかかってきました。
何の意味があるのか、どんな意図があるのかはわかりませんが、「そっか」とだけ返事して、切ろうと思っていたのですが、そこで続けてこう伝えられました。

「XXさんに、お礼を言っといて。連れて行ってくれたから」

はいはいと空返事のようなものを返して終わりましたが、切った後に違和感が残りました。

当たり前を知らないままに受け取っている

お礼を言うのは長男として子供として当然かもしれないが、意味として、「本来は自分が連れていくべきなのに」が含まれているのでは?と。

本来は自分が連れていくべきだったのに、連れて行ってくださってありがとうございます。

こういう意味合いで伝えてほしいのだろう。
でも、それは違うんじゃないか?

 

自分で連れて行ってくれとその人にお願いしておいて、なんで俺がお礼を・・・?
そもそも俺が連れていくと約束をした覚えもないしな・・・

 

社交辞令としてお礼を伝えておけば角も立たずにすべてが丸く収まるのは分かってはいますが、背景にあるもの、当たり前と思っていることに違和感を感じずにはいられませんでした。

罪悪感が芽生える仕組みとしての親の言葉

是か非かで考えると、僕の言っている事は非に入るとは思います。

一般的には親の面倒を見るのが是とするはずですから、それに反する考えを言っている僕は非になるとは思いますし、そこを否定したり反発するつもりはありません。

 

ただ、親からの”こうしなさい”という言葉は一度咀嚼したほうがいいんじゃないかな?

咀嚼して自分がどう思うのか、どう感じるのかを一度かみしめてから、じゃあどうするかを考えるほうが後々良いんじゃないかな?とも思います。

そうするのが当たり前が含まれている

一番重要なのが、親の当たり前が言葉に反映されているからです。

そして、その当たり前を疑いもせずに飲み込み、行動を打つすことで、親の価値観を自分が継承することにもなります。

そうすることで親から色々な事を学んできていますが、親も人間です。

全てが完璧だということはありませんから、全ての価値観をそのまま受け取ると、間違いも不幸の種も受け取ることになります。

余計な罪悪感を抱えることがある

人は罪悪感を感じると、その罪の意識から、さらに間違った行動を重ねたり、間違いを取り消そうとしてしなくても良い事をしようとします。

それを利用するために、カルト宗教などでは罪悪感を感じさせてコントロールする術を用います。(生きている事は罪深いことだから・・・みたいなね)

 

親子の関係でも罪悪感でのコントロールは有効で、知らず知らずのうちに罪悪感でがんじがらめになっていることがあります。

例えば、「自分の望む生き方をすると親や兄弟が迷惑を被るかもしれない。でもこれが自分の生きたい生き方だから・・・」と望む生き方をしたはずなのに、迷惑をかけたという罪悪感に駆られるとします。

この罪悪感、本来は不要なもののはずです。

 

生きたいように生きて良いはずなのに、どこかで「親や兄弟のために我慢しろ、犠牲になれ」と刷り込まれたことによって、自分の生きたいように生きることが悪い事となっているのです。

親の言うとおりにしなくてもいいと気づき、決断するまではその苦しみから逃れることはできませんから、一種の呪いとして本人を縛り続けることになります。

自分の価値観を優先することで親孝行の質が上がる

親を大切にするということは大切だと思いますし、そこを否定はしません。
ただ、それ以前に自分を大切にすることが大切だし、そちらが先決だと思うのです。

まず自分を大切にする。
自分を大切にしていく中で、自分を育ててくれた親への感謝が育ち、そして、親に恩返しとして・・・という行動に繋がっていくのが自然な流れだと思うのです。

自分を殺してまで、親の言いなりになる、親を優先するというのは、違うんじゃないかな?と思いますし、そのリトマス試験紙となるのが、親の言うとおりになんでもかんでも動いていないか?ということです。

 

親が言っているから思考を止めてそうすることと、そう言っているなら言う事をきいてやろう(口が悪いですが)は質が違います。

その違いは、親が何かを言った時に自分の価値観と照らし合わせて「ノー」と言った経験があるのかどうかです。

親に自分の価値観から生まれる明確な理由を持ってノーと言えるようになって、はじめて親の言うことをきくことの価値が上がると僕は思います。

まとめ

 

あなたの価値観を最優先に生きてもいい
親の価値観よりも自分の価値観が大切にすると決めることが大切

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