人間は未完成の中に居てこそ成長できる

自己啓発

「完成を目指すより未完成をどう活かす」

こういう方針のほうが良いのかな?なんて最近よく思う。むしろ、完成を目指すというのは間違いというか、80点も取れれば十分で20点の不足が残るのが足り前なんじゃないかな?と。

そこを100点にしよう考えると病んじゃうんじゃないかな?なんて思う。

未完成で不完全な自分に思う事

完璧じゃない自分への消えない自己嫌悪

完成する。質を高める。これを否定したいわけじゃないし、むしろ大切な要素だと思う。ただ、完璧って域に達することって多分ないな…と最近よく思う。

これは自分自身が自分自身への自己嫌悪感が消えないから感じることでもある。

自分という人間が不完全でダメダメで嫌になる。だからなんとか欠点を叩き直そうと頑張っているけど、一向に減らない。なんなんだこれは…と半ばあきらめ、半ば苛立ちでいっぱいになっている。

そして、そういう状態になると、何か行動を起こすことのハードルが爆上がりしてしまっている。

どうせ無理だろうし、どうせ中途半端になる。そう思ってしまう自分がいる。

そんな自分ではダメだと思うのでまた追い込んで…と自分自身が摩耗するサイクルが止まらない。

未完成の状態こそが最新であり完成という考え方

そこで思ったのが未完成を受け容れるというスタンスの大切さ。完成した時、自分は終わるんじゃないか?と。

これを思い至ったのが、現存するものはたいていは未完成であるということ。例えば、完成するとそこから劣化するという日光東照宮を作った人は未完成部分を残しており、それは現代にも引き継がれ、日光東照宮は常にどこかが改修中であるというのを正月番組を見て思い出したから。

日光東照宮の陽明門はこの逆柱があることで知られている。柱の中の1本だけ、彫刻の模様が逆向きになっているため、逆柱であることがわかる。しかしこれは誤って逆向きにしたわけではなく、「建物は完成と同時に崩壊が始まる」という伝承を逆手にとり、わざと柱を未完成の状態にすることで災いを避けるという、言わば魔除けのために逆柱にしたとされている。

逆柱 - Wikipedia

2024年の年末にミクシーが復活したというニュースがあったけど、初版のミクシーはタイトルにβと書かれていて、それは未完成であるという事を意味していて、常に成長し進化するから完成しないという意味だし、完成したと思ったときから劣化が始まるという考え方があるからだと何かで読んだのを思い出した。

ただ、アプリ版になるときにベータ表記が消えた。

mixiが正式サービスに 「mixiアプリ」公開でベータ版を卒業
サービス開始から約5年半。ついにmixiがついに正式版となった。8月24日に新サービス「mixiアプリ」を公開したのに伴い、mixiのロゴからベータ表記を外した。

(そこからmixiが衰退したことを思うと、完成すると衰退するという考え方はあながち間違いでもないよね…)

未完成こそが実は完成なのだと思う。完成した時、そこから終わっていく。

人間も常に未完成だし、知識も技術もまだまだ未完成。人間関係も未完成だし、世の中も未完成である。

完成することはない。完璧なんてものは永久に訪れない。

未完成を受け容れると頑張る気が消えるのも事実

実は、ここから先が今の自分にはまだ分かっていない。ブログとして言葉にすれば何か無理やりにでも見えてくるんじゃないかな?と思って書いているけど、見えない。

未完成を受け容れるという発想、完璧なんか求めたら終わるぞって考え方を持つと、無理に頑張ろうとしていた自分が弱まり、「まあいっか」と思っている自分が出てくる。

完璧を目指そうとしなければ自分に負荷をかける理由がなくなる。これを諦めと言えばそうなのかもしれないけど、不思議な感覚だな…とも思っている。

反面、こう思う自分もいる。今の自分の100点を目指してみる。そうすると不足が見えてくるんだから、次はそこを叩く。それを積み重ねることが成長なのではないか?と。

馴染みが深い発想なんだけど、それっていずれ完璧に到達できるって発想が根底にあるよな…と思う自分も居る。

そこで思うのが、”最後までやり終える”という区切りを走りきる事が大切なのかな?ということ。

「未完成」を肯定し、変化と成長を楽しむ

完璧を目指しても到達しないし、完成させるとそこから終わりを迎え始める。未完成であることがベストなのかもしれないと思った時に、自分自身が未完成であること、完璧じゃない事を少し許せるようにもなってくる。

ただ、それはある意味で完成させたことにもならないか?とも思っている。自分はこの程度なんだ、頑張っても無駄なんだ!と。

それは自分の求める”未完成”ではない。

未完成を維持する、未完成を意図的に作るには何か大切なのかとなると、それは自己ベストを目指して、1つのサイクルをやり終えるという事ではないか?ということ。

100点を目指すけど、80点で終わるかもしれないし、50点かもしれない。でもそれで良しとする。

そしてまた、そのサイクルを回す。
この”サイクルを回す”ってことが未完成であるって事じゃないかな?と思っている。

サイクルが止まっている、そもそもサイクルがない、そういったところには発展も成長もなくなるので劣化し衰退していく。そういう事なんじゃないかな?と思っている。

このブログ記事、見切り発車で書いてここまで書いた。50点ぐらいかもしれないけど、1記事を書くというサイクルを回すことで見えた事、分かったこともある。

サイクルを回すことが大切だと思う。

教訓

サイクルを回す

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