お金より大切なものはあるが、お金がないと大切なものが犠牲になる

お金

記念すべき1記事目なので、何を書こうかな…と悩むこと5秒。

悩んだところで書く内容に大きな違いはないというか、貧乏から脱するために今の自分が思っていること、やっていること、やってみたことを記録するのがこのブログの目的なので、それに合ったものを書くしかない。

で、まず書いておきたいことはメインテーマでもある「お金」についてじゃないか?って思うので、そこを書こうと思う。

お金より大切なものがあると思っていた自分

人生はお金じゃないと言う事を言うが、お金がない人生は人生そのものをダメにするということを痛感している。嘘のようだけど、紛れもない事実だと思っている。

人生はお金じゃないというのは、ある程度お金がある人が初めて言えることばであって、人生の真理ではないと今の自分は痛感している。

人生、お金より大切なものはある

そう言う自分も以前はお金がある人生なんかよりも、お金より大切なことがある派だったし、なんならお金がなくても大切な何かがあればそれでいいやんって思っている派でもあった。

しかし、今はそう思っていない。お金がなければ大切なものを大切にできない。そして、大切なものを大切にできないことによって自分自身への否定感や罪悪感がとてつもない押しかかってくる。

そして、それに潰されそうになる。その圧力に潰されないためにまた、こんなことを言ったりする。

「人生、お金より大切なものがあるはずだ」と。

実際は、お金で人生はダメになる

この場合の「人生、お金より大切なものがあるはずだ」の意味は、当初自分が使っていた意味と変わってくる。お金がないことで人生の大切な何かを犠牲にしたこと。それを認めないために使っていたりする。

お金なんかに人生をダメにされるのはお金が人生の中で大切だってことだけど、そんなわけない。お金が大切だと思っているから人生がダメになるんだ!みたいな屁理屈だったりする。

でも、実際にはお金によって人生がダメになっている。

そこから目をそらすために「人生、お金より大切なものがあるはずだ」を使うようになる。今の自分は、完全にそちら側の理由と意味で使っている。

お金が無ければ大切なものを守れない

そして、今の自分は痛感している。

お金が無ければ、大切なものを守れる人生にならない。

お金がたくさんあれば幸せになるのかどうかというのは別の話で、お金がないことは漏れなく不幸になる。

例えば、今の自分は母親が入院しているのでその入院費を工面しなければなんだけど、それを工面するために精一杯で見舞いにも行けない。見舞いに行くための交通費すら工面できないというありさまなのである。

母親に最悪の事態が訪れないことだけを必死に祈る日々を送っている。万が一の事があった時に駆け付けることができるのか不安だからだし、満足できる対応ができるかも心配だから。

こんなことで不安を抱え、悩んでいることを不幸と呼ばずしてなんと呼ぶのかという話だと思う。

だから

日々、その日暮らしのような生活を送っているが、その中でもなんとか工面しつつ、収入を増やすためのあれこれを考え、実践に移している。

やらしい話だけど、このブログを書いて、それによって何らかの収益に繋がるならありがたいという欲もある。(一応、主目的は自分自身を変える過程の足跡代わりが第一であり、誰かの何かの糧になるかもしれないというのが第二)

お金が無ければ大切な人を守れない。親の入院費だけで生活が頓挫しかける。お金が全てみたいな事は言いたくないけど、自分を含めた大切な存在が生きるためには不可欠。

そうは分かっていても、自分の中には解せない何かがあるのは事実だったりして、その辺りを言語化していくための場所として、このブログを続けていきたいと思う。

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